副業戦記 PR

この手を動かせるのは、他でもない私だけ

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私は自己肯定感が低いので、割と何に対しても腰が重い方でした。会議では発言しないし、書き込みもしない、楽しそうな人を横目でみて鼻で笑って、一つ上からものを見てますっていう感じの人間でした。まだそういうとこあるかもしれないけど。

なんで“自分”を大切にしたくなったか 私のおじさん

独身で亡くなったおじさんがいました。おじいちゃんおばあちゃんは先に逝っていて、残された花屋を1人切り盛りする1人暮らしのおじさんでした。すごく面白くて皮肉屋で、でもその皮肉が痛烈で好きでした。

お金を使う趣味はほとんどしなくて、ギターも買ってそのままで(でも捨ててない)

他人を信用できなくて、素直に助けを求められない人でした。だから自分への信用も積み上がってなくて、助けて欲しいのに助けてって言えない。助けが来てもその手を取れない。そんな人でした。

肝臓ガンだったのですが、お酒もタバコもしない人です。本当に稀なパターンの癌だったそうです。

ちいさな花屋の跡取りという役割を一身に背負って、自分の欲を一切表に出さなかった人です。ウィットに富んだ皮肉は、いつのまにか僻みに聞こえるようになっていました。

“肝臓の病気は怒りからきている”そんな言葉がふと耳に入りました。

ああおじさん、怒ってたんだ、と腑に落ちました。どうして、なんで、みんな助けてくれない!そんな心の声が聞こえた気がしました。ずっと我慢してたんだろうな、と。

本当に好きなことをしてこなかった、もとい、自分を表現してこなかった人だったんです。野菜を作るのが本当に上手だったから、これ売れるよって言ったけど、買う人いない、で済ませて小難しい理屈言ってました。

野菜の作り方を教えればいいのに、とも言ったかな。農薬使えば誰でもできる、と言ってました。

側から見ていてとても苦しそうな生き方でした。本人はもっと悩みもがいていたんだと思う。

何を恐れていたんだろう、というほどガードされていた。

おじさんは一生懸命生きたけど、おじいちゃんおばあちゃんの期待のために生きていたんです。

残されたipadにはTwitterのアカウントがあったけど、何にも投稿していなかった。本当に見ていただけで、それも投資情報だけをフォローしていて趣味らしさが全くありませんでした。

ブックマークも同じ。金庫は二重に鍵をかけてあって、二本を別で保管していて。末期で朦朧としながら鍵を新しく付け替えてました。

iphoneもipadも複雑なパスワードが幾重にもかけてあって。パスワードも簡単なものじゃなくて英数小文字をふんだんに織り込んだ複雑なもの。自分を出さないところがこんなところにも表れるかと思いました。空に近い金庫、投稿のないアカウント、何を恐れていたんだろう、と思うくらいに厳重に管理されていました。

1年だけ1人暮らししたことがある以外は、ずっとおじいちゃんおばあちゃんと一緒に暮らした人生だったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は自分で自分の手を動かせる

私のこの手を動かせるのは、私だけだ、とその時思いました。ランニングを始めたのはおじさんの病気が重くなったころなのですが、私は自分で自分の足を動かしてこの坂を登れている、と強く思ったを覚えています。

おじさんに、好きに生きていいんだよと私は言えなかった。私がそう生きていなかったから。

私のこの手を動かせるのは私だけだから、私がどうしたいかをとことん探して自分を表現したい、そうしなくてはいけないんだ、と夏の夕暮れの熱い空気の中で感じたのを覚えています。今思えば、あのあたりから私は“自分”を見つめるようになりました。

おいちゃん、晒してごめんな。