「怒り」は、自分を知るトリガーかもしれない




コンバンワ。雨にはイラつきません。傘があればね。

ふとした一言の威力

仕事なり家族なり、毎日誰かと会話して人と関わって生きていると、自分の感情ってある程度抑えていると思う。

特に「怒り」とか「憤り」って表に出さないようにしてる。よほどじゃないと、表に出るほど怒らない。

でもふっと沸点ふりきられること、ない?

いつもはさらっと流せたり、テキトーに合わせたりできるのに、どうも我慢ならんやつ。

私、思ったんだけどそれって「限りなく本質の自分」に触れられたからなんじゃないだろうか。

それに気づいた私の出来事がこれ。

私は文章書くのはそこそこ得意で、わかりやすく書けている自信があった。社内メールを1日に何本も飛ばして上司の指示を部下に知らせたり、上部へ報告したりしていた時代が3年ほどあったけど、わかりにくいなんて言われたことなかった。

1分を争う業界だったから忙しい営業員に対して分かりにくいなんて言語道断だったから。

それが転職して今の上司に文章が下手で社会人レベルではないと言われたとき、私はものすごくショックを受けた。

言い返すこともできないくらい絶句して、でも何ができてないのか理解できなくて。

しかもその上司は私からしたらド下手くそ。1文が数行に及び、さらにその文中に句読点は軽く片手を超えるほどある。顧客向けのA4のペーパー半分が一文で構成されているようなのを平気で作る人。

悔しくて悲しくて、思わず私は他の人に私の文章分かりづらいかなあって聞いて回ってた。

今思えば私へのパワハラで、奴の作った文書は分かりづらいと外部から意見が相次ぐ事になるんだけど、その時自分のあまりの動揺ぶりにはた、と気づいた。

私は書く事に対してそんなに大事に思ってたのか、と。

その時はビジネス文書で、気持ちを入れて書いたもんじゃなかったから、トラウマにまではならなかったけど、プライベートな文書(なんでしょうねw)だったらおそらく立ち直れてない。

私は人の意見に聞く耳を持たないから批判されて怒ってるんだろうか、とも思ったけどね。

ネット小説あげてた時にもらった読者コメントは、厳しくても受け入れられてた事思い出してそうじゃないなって。

私は「自分がいかに書くという事にプライド持ってるか」を自覚した。

ブログの文章、これまだ下手くそだけど、すぐに上手になるからな!

どこに目を向けるか

怒りでまわりが見えなくなった時、「自分が怒っている」ということに意識的に気づくことが大事なんだと思う。その気持ちにフタをしても我を忘れてもいけなくて、怒り狂いながら「あー自分めっちゃ怒ってるわー!」とただその事実を事実として受け止める。

そうすると、こんなことで自分は怒るのか、なんでだろう?って自分をしるトリガーになると思う。

自分で自分を知るって、自分で自分を認めてあげることでもあるね。

なんかパワハラの記事になっちゃったけど、なぜ私が「書く」事を選んだかの記録として書いとく。

怒りや悲しみはパワーにもなるものだよ。自分でしっかり自分の声を聞いてあげよ。

 


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