副業戦記 PR

区切りとして記録 この先私は私を生きる

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コンバンワー。今日は区切りなので思いを書きます。火星が蟹座に飛び込んだらしくて。なにそれ大変(ホロスコープ的な意味で)

思えば大学の頃から、起業したいなあと思っていました。具体的になにしたらいいかも分からなかったし近くにそれを志してる人もいなかったから、すごい人がやること、と思って特になにもできませんでした。

なんとか社会人になると、25歳は大きな節目に見えました。25過ぎたら大人の女。仕事でも一花咲かせてないとかっこ悪い、と。それで私はUSCPAを受けようと予備校に入りました。いくらだったろう、思い出したくないな、おそらく25万くらいです。地方住みなのになんでか虎ノ門にある学校で、一月に一回くらいは東京行ったろう、という気持ちでした。(あ、今より金持ちだな、この頃)

メインは通信教育なので、家にはDVDがいっぱいあります。そのDVDをipodで見て勉強する計画だった(もうそれが画期的に見えて仕方なかった。数年後に当たり前になろうとはね)のですが、DVDをipodに落とすのに異様に時間かかって挫折。1人でDVD見て勉強は無理でした。

それでも私はお金持ちになりたくて、お金の本をそこそこ読んでいました。金持ち父さん貧乏父さん、本田健、渋井真帆は今でも覚えてます。大箱だったけどセミナー行って本人を見たからだと思う。

行動が大事だと思っていたので、金持ち父さん貧乏父さんで紹介されていたボードゲームをやっている会を探して参加しました。マルチの巣窟でした。不労所得を得よう!というやつでした。その近辺の親玉に会いましたが、私でもうわこれおかしい人と思う人で、そっと私は連絡を絶ちました。漫画に書いたような悪代官さが滲み出ていた。

本田健の本の影響が大きくて、好きなことを仕事にしなくちゃと思ったのがこの頃です。25歳過ぎてたかな。それでお金のEQだかの通信教材を申し込みました。8万くらいだと思います。

通信だったので途中でやらなくなりました。ただ教材はとっといてあります。

それから夢を叶える像を読むも、気持ちだけ燃えて終わり、お金だけはしっかり使ってなにも残らなくて。でも自由だけはいつも欲してる、そんな日々でした。

痛いですね。書いててうわぁと思います。

そういえば情報発信が必要だからとブログ始めたけど、方向性もなにもないから2ヶ月で辞めたし、情報発信のためと始めたtwitterはいつのまにか愚痴吐き場。少し手をつけては引いて、それを繰り返していました。その頃twitterでFacebookはビジネスにすごく使える!て呟いてた人いたなー。

好きなことを活かして仕事したい、それだけはずっと頭からは離れなくて。

書くのは好きだと思っていた。だからブログやtwitterをやったんだと思う。本田健のセミナー後、好きなことを少しでも毎日やろうって言われて携帯小説も描き始めた。完結させて終わった。

今転職して東京にきて、色々な刺激がありました。辛いことがたくさんあったけど、それは全て行くべきところにいないということを、なんか天使とかが教えてくれていたんだと今は思今す。思いたい。

今私はまた挑戦しています。新しい一歩ではありません。ずっとずっと前から繋がっていたことを、つなげるべきところへ繋ぐための軌道修正、が近いです。これまでのイタさも、この先へ進むことが必要だったから起こったこと。

思えば物心ついた頃には広告裏に絵本書いてたらしいです。最初の二次創作は三びきの子豚。小学校では漫画書いて中学校でも漫画描いて塾行くようになったらその行き帰りの電車の中で小説書いて高校では漫画と小説書いて、社会人でも携帯小説。

書くことに主軸を置いた生き方にシフトします。もうブレないし間違ったとこへも戻りません(どんなにひどい目に合うか知ってるしね)

ここからさらに、私を生きる道を、歩き続けます。

おーわりっ。