副業戦記 PR

言葉の捉え方 働き方改革で副業解禁!て聞いたらどう思う?

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私はやったー!好きにやれるぞー!って思ったんですが。

どんだけ働けっていうの

 

って暗〜くいう人がいてマジでびっくりしました。あと「定年も撤廃なるかも」て私が言ったら、いつまでも働けってことか、てため息ついてました。私はこれにもどがつく程びっくりしました。あんた仕事やめて何があんのさ?とは言わずに「ねー」って表面上あわせておきました。

現状今の職場でも、60過ぎたって雇用形態変えて会社に残ってるんです。社内規定まで整えて。定年になってすっぱり職場を去った人いないんですよ現に。

職があるってことでどこかに属してる安心感を求めてる人が目の前にいるのに、現実も見えてないのかと。そのくせずっとこの職場にいたい、とも言うんです。働きたくないって言いながらやめねぇんです絶対。

つまり彼女は働くってことが「生きるために辛くてもやらなくてはいけないこと」だと思っていて、同時に「ここにいれば路頭に迷うことはないから多少のことは我慢しなくちゃ」と思ってます。「だってなんだかんだ会社が色々してくれるもん」と彼女の思考は続くんでしょう。

でも同じキーワードで私はヒャッホーだった

彼女の発した言葉で、私と彼女の「働く」と「副業」の捉え方が違うことに気がつきました。私そう言えば新卒で入社した時も「副業禁止」を見てちぇっと思ったんですよね。

この会社以外から報酬を得たらダメなのか、と純粋につまらなく思いました。

私にとって「副業」は「他にもやりたいこと探していいよ」と同義だったんです。「働く」は「報酬を得ること」と捉えていました。

でも彼女にとって「副業」は「収入が足りないからやらなくちゃいけないこと」で、「働く」は「生活のためにやること」なんだと思います。

だから同じ「安倍、副業解禁するってよ」という言葉への反応が違ってきたんだと思います。

今私がもがく理由

地方から東京に転職して、9時−17時勤務の事務職正社員、残業少なめ、都内在住、という見る人が見たら羨むかもしれない条件で仕事をしていても人生を変えたくなった理由は、私の思考が彼女に「寄った」からのようです。

「働く」が「生活のため」になっていたんです。安定と引き換えに上がらない給料、給料は腹たつ上司の我慢代。めちゃくちゃ仕事を頑張った年の評価で昇給した額が月2000円だった時、私は雇われて働く限界を感じました。月2000円の昇給ででおめぇに恩を感じるわけねえだろ(はげ!)とは言わずに、私はにっこり笑いました。

事務職の成果なんて分かりづらいですし。ヨーイドンで書類作成するレースでもあればぶっちぎりで私が優勝だと思いますがそんな社内大会もないんで。

転職では同じことの繰り返しになってしまいます。国が新しい働き方を応援し始めている、目の前に新しいやり方で成功している人が現れた。雇われ以外の道が、ちょっと見えてきたんです。だから今頑張ってそっちに行こうとしているんです。

辞めるときは高笑いしながら社を去ってやろうと思ってはいますが、きっとその時になったら、私はただにっこり笑うだけでしょう。ただし心からの笑顔で。

(まあ副業は解禁されてないんですけどね、現実)